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200%元気になれる!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所長による発想の転換のすすめ(3)承認欲求とプロレス

今回は承認欲求とプロレスのお話をします。承認欲求とは人間だれもが持っている本能に近いものだと思います。基本的な欲求と同じくらい強いものでしょう。人に認められるということがどれだけ気持ちのいいことか、どれだけ嬉しいことか、誰もに経験のあるところです。しかし、基本的には利己的な欲求の一つといえます。名誉欲にもつながる欲求ですね。

アドラー心理学で有名なアドラーは承認欲求を完全否定していますが、人に認められたいという気持ちの中に、他人を思いやるという要素はありません。そこにあるのは自分の欲求を満たしたいということのみです。ですから利己的だといえるんですね。

承認欲求を持つということは、他人からの評判に執着することです。人は常に人を誤解します。誤解に基づいた評判に執着し、とらわれるならば、現代社会にみられるように激しい競争につながっていきます。競争社会では極めて少数の勝者を除き、だれも幸せにはなりません。人に認められたい、だけでは目立ちたがりとなんら変わりません。目立ちたがり屋と人前に出て何らかの技能を披露する人間は当然違います。もちろんアーティストやプロレスラーはただの目立ちたがり屋だけではつとまりません。

ひとついい例を紹介しましょう。

日本プロレスという力道山が創設したプロレス団体がありました。ここに吉村道明という名選手がいました。猪木・馬場といった力道山亡き後の後継スターのサポートとして、常に先陣を切る特攻隊長といえばきこえがいいですが、相手にやられてやられていいところで、スター選手にスイッチする役目を担っていました。しかし、それはしっかりした体つくりと確かな技量がないと不可能なことでした。スター選手を立てるために自分が一歩引いた役割をこなす技量を持つ選手を私は仕事人と呼んでいますが、吉村選手ほど仕事人と呼ぶにふさわしい選手はいないでしょうね。確かに攻められて一本取られることも少なくなったですが、ダメージを負うことも少なく、常に第一線で戦い続けた名わき役でもありました。吉村選手は回転エビ固めの名手でしたが、この回転エビ固めを日本で初披露した試合(対カール・クライザー=のちのカール・ゴッチ)では、日本人としてはじめてジャーマンスープレックスを食らっています。驚くべきはその受けの強さで、ありえない角度から落とされても、試合後は平然と立ち上がっているのです。これは驚くべきことでした。カール・ゴッチは対日本人ではほぼ無敗を通していますが、全盛期のゴッチに唯一土をつけた選手が吉村道明だったのです。このことからも実力のある人はどんな位置にいてもいい仕事を残すものなのです。これでケガが多かったら、そもそもこのような危険な役回りは依頼されないでしょう。

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格闘技を含めた一般スポーツは、プレイヤーを勝者と敗者に分けたがります。勝者は栄光をつかみ、敗者は語ることすら許されません。その厳しさがある意味スポーツの魅力でもあります。

しかし、プロレスは競技であり、勝者と敗者が生まれるにも関わらず、みんなが幸福になるにはどうしたらいいのかを模索できますし、プロレスラーも観客もみんながハッピーになることを求めています。それを真剣に考えて自分をどうしたらいいのかという結論が出たならば、他人の評判などものともせず、その道を突き進むべきでしょう。それはプロレスラーであろうと、観客であろうと変わりはありません。誰しもが馬場・猪木を目指していたら面白くありません。時には吉村道明のような選手も必要なのです。名わき役という道をひた走ってプロレス人生を終えた吉村選手の生き様には大いに共感しますね。

プロレスも映画も展開上アンハッピーで終わることも珍しくはありませんが、それでも何らか気持ちや心が動く瞬間を求めて、2度3度と私たちは会場や劇場に足を運びます。それは一時のアンハッピーよりずっと素晴らしい、ハッピーを知っているからです。瑣末な結末に一喜一憂しない、ゆるぎない信頼と愛情がそこにあるから見続けられるのです。

それに比べると自分だけが幸せならそれでいいという承認欲求などどうでもよかったりするんですよね。

200%元気になれる!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所長による発想の転換のすすめ(2)第三者の視点

私が好きなプロレスほど「伝える」ことがキモになっているジャンルはないと思っています。毎日痛い目に遭い続けながらリングにあがるプロレスラーには、ひしひしと「伝えたい思い」を感じますし、みているファンもまたしばしば「一般の方」からその魅力について説明を求められることがあります。プロレスに関わるうえで「伝える」ということは切っても切り離せません。プロレスが街のケンカと決定的に違うのは、攻撃する側もされる側も、第三者の目線ありきで行動していることです。それは会場にいるお客さん、レフェリー、スタッフ、あるいは報道されたり、ネットで情報を知るファン、更には同業者など多岐に渡ります。

街のケンカは簡単にいえば当人同士の「なんでもいいからむしゃくしゃした気分を発散したくて、暴力にして人にぶつけるだけのものです。それ以外の目的はありません。たまに人を集めてケンカする輩もいるみたいですが、たぶんそれは「見られたい」という自分の願望優先で、見ている側がどう思うかとか、自分たちがどう見られているかいう視点はごっそり抜けていると思います。たとえばこういう情景を思い浮かべてください。一方が一方の首を絞めるとします。しかし、現実的に考えてどっちが相手に対してダメージを与えられるでしょうか?

①立ったまま背後から首を絞める

②相手の身体に背中から馬乗りになって全体重をかけて首を絞める

 

 

もし相手にダメージを与えるためだけだったら、②の方がより効果的でしょう。立ったままよりは相手の逃げ場も奪えますし、乗っかられただけでも結構なスタミナロスにつながります。しかしこれを伝えるという視点から見るとどうなるでしょうか?まず相手に覆いかぶさっている時点で、周りからは実際にそういう攻撃をしているのかわかりにくいですよね。別に覆いかぶさってもいいのですが、みている人ありきで考えると、あまり効果的とはいいがたいですね。特にテレビカメラが接写する機会があるならまだしも、②の場合だとごく近くの限られた人にしか事実が伝わりません。

一方①は周囲のお客さんから丸見えになります。体重はかけられませんが、伝わり度でいえばぐっと違ってきますね。また技に対して耐える相手の表情、なおも攻撃を仕掛ける側の表情もわかりやすくなります。プロレスで言うとたとえばスリーパーホードを決められた相手が、耐えに耐えて背中から攻撃側をターンバックルにたたきつけるという攻守逆転の場面も見ることができます。また投げ技が得意な選手だとスリーパーホールドの体勢からバックドロップへつなぐ展開もあり得ますね。バックドロップの名手だったルーテーズとスリーパーホールドの名手だったバーンガニアの一戦などには常にどっちに転ぶかわからない緊張感まで醸し出していましたからね。寝ていてはこうはいかないでしょうね。

勝ちさえすればいいという街のケンカからすると不可解かもしれませんが、自分たちの闘いを「伝える」となるとグッと難易度があがります。たまに自分たちの闘いを自身が俯瞰で理解して説明できる天才が現れることがありますが、多くの場合、第三者の視点を必要としている事のほうが多いと思われます。

ですから、見ている側としては、選手の伝えたいけど伝わらないもどかしさや、それでも伝えたい気持ちなどの機微をつぶさに観察していき、深掘りしていくと、より深いメッセージにたどり着くことがあります。それが正解かどうかはこの際関係ありません。正解を求めて深堀りするわけではないからです。そうしていくと「これは何かの形で書き留めておきたい」衝動にかられることがあります。あるいは「これを誰かに伝えたい」「誰かと共有したい」欲求が生まれるかもしれません。

それがプロレス観戦記や映画鑑賞記を書く原動力になるのです。衝動を生み出すのはリングの上の闘いですが、それを受け止めて自分のものにし、更に伝えていくことは、見る側にのみ許された贅沢なのです。

 

200%元気になれる!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所長による発想の転換のすすめ(1)観察して想像してみる

私がこれからお伝えしたいのは、まず自分の心理状態を知ってみようというお話しです。人間が関わるものや、作り出したものには必ず心理的メッセージが隠されている、と私は思っています。そのことに気付けたのは、私が心理学を学び出してからなんですね。自分のことって案外自分が一番知らないもので、自分が過去に書いたものを見返して、はじめて気がついたわけです。以前から書いているものを、自分で読み直してみると、かなりの部分心理面に着目していたことがわかりました。

具体的にはたとえば好きなプロレスだったりすると「今この技は何を考えて出したのだろう」とか、映画だと「これは監督が何を伝えたくて作った場面なのかな」とかです。特にプロレスに関しては、出された技に意図したメッセージが隠れている場合があります。

一例をご紹介しましょう。2016年の8月、新日本プロレス真夏の祭典G1クライマックス決勝、ケニーオメガ対後藤洋央紀の一戦です。後藤からフィニッシュを奪ったケニーは、自分の必殺技に行く前に、ブラディサンデー、そしてスタイルズクラッシュを後藤に決めています。このブラディサンデーはケニーが現在ボスとして君臨するバレットクラブの初代リーダーだった、プリンス・ディビッド(現WWEのフィン・ベイラー)のフィニッシュホールドです。そしてスタイルズクラッシュは同じくWWEに行った二代目バレットクラブのリーダー、AJスタイルズの必殺技でもあります。そして現在のリーダーであるケニーの必殺技「片翼の天使」につないで見事外国人初のG1制覇という偉業を成し遂げたのです。

この試合から読み取れるのは、ディビッド、AJの思いを背負ったケニーの覚悟と責任感、そして2人の技に敬意を払いつつも今の自分を最強と認めさせる意味合いでも効果があったと思います。さらにアメリカWWE行きを選択した前リーダー2人に対して、「自分は日本でメジャーになる」というメッセージも含まれていたと想像できます。こういう芸当を後藤との激闘の中でさらっと表現できてしまうのですから、まあ後藤には勝ち目はなかったですね。このようにひとつの技から読み取れるメッセージは無数にあります。

ちなみに私は社会人デビューしてからは、ほぼ20年接客業をしてきたのですが、仕事柄人間を観察し、自分なりに相手の心理状態を想像していたことも多々ありました。接客業時代は楽しいことよりキツイことの方が多かったですし、そんな中で楽しみを見出すにはそれくらいしか方法を思いつきませんでした。その後病気になって、寝たきりから這い上がり、リハビリしながら、自分と向き合いつつ生きています。しかし、人間観察が義務だと思いながらやると続かないですよね。接客業時代がまさにそうでした。

仕事でも趣味でもそうですが、自分が「〜したい」という気持ちでないと、生きていても面白くないのですが、ついつい「〜せねばならない」事を優先しがちです。仕事でも趣味でも「こうあるべきだ」とか「~せねばならない」という信念が強すぎると、力が入りすぎて楽しめなかったり、良い成果が出にくいことがあります。しかし簡単に力を抜けと言っても普段から無意識に力が入っていると、そう簡単にはいきません。そこでまず自分を観察してみるのです。まずは己を知るということですね。

そのうえで、いろんな物事を観察して、それに自分がどう反応するかを知ることが大切なのです。すべてはそこからスタートするんですね。

 

 

SEKAPRO LIGHT へようこそ!

このブログは私がwordpressでやっているプロレスブログ「SEKAPRO」のはてな出張版です。本編には本編でしか読めない記事もあるんですが、ここでははてなの発信力を利用してより読んでいただきたい記事を厳選してお届けします。

サザエさん」でいうところの「よりぬきサザエさん」が本ブログだと思っていただいて構いません。やはりwordpressだけだと、拡散力に限界も感じていましたし、よりプロレスの魅力を大勢の方に伝えたいという想いが、募ってきたこともあって、決断しました。

以前本業のブログはてなでやっていたのですが、そこも更新していないけど、結構見られているんですね。それが再びはてブロをやってみようと決断するに至った理由です。

どうぞ、よろしくお願いします^^


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