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プロレスよありがとう!クレイジーでモンスターな好事家がマニアに捧げるメモリアルブログ

200%元気になれる!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所長による発想の転換のすすめ(2)第三者の視点

私が好きなプロレスほど「伝える」ことがキモになっているジャンルはないと思っています。毎日痛い目に遭い続けながらリングにあがるプロレスラーには、ひしひしと「伝えたい思い」を感じますし、みているファンもまたしばしば「一般の方」からその魅力について説明を求められることがあります。プロレスに関わるうえで「伝える」ということは切っても切り離せません。プロレスが街のケンカと決定的に違うのは、攻撃する側もされる側も、第三者の目線ありきで行動していることです。それは会場にいるお客さん、レフェリー、スタッフ、あるいは報道されたり、ネットで情報を知るファン、更には同業者など多岐に渡ります。

街のケンカは簡単にいえば当人同士の「なんでもいいからむしゃくしゃした気分を発散したくて、暴力にして人にぶつけるだけのものです。それ以外の目的はありません。たまに人を集めてケンカする輩もいるみたいですが、たぶんそれは「見られたい」という自分の願望優先で、見ている側がどう思うかとか、自分たちがどう見られているかいう視点はごっそり抜けていると思います。たとえばこういう情景を思い浮かべてください。一方が一方の首を絞めるとします。しかし、現実的に考えてどっちが相手に対してダメージを与えられるでしょうか?

①立ったまま背後から首を絞める

②相手の身体に背中から馬乗りになって全体重をかけて首を絞める

 

 

もし相手にダメージを与えるためだけだったら、②の方がより効果的でしょう。立ったままよりは相手の逃げ場も奪えますし、乗っかられただけでも結構なスタミナロスにつながります。しかしこれを伝えるという視点から見るとどうなるでしょうか?まず相手に覆いかぶさっている時点で、周りからは実際にそういう攻撃をしているのかわかりにくいですよね。別に覆いかぶさってもいいのですが、みている人ありきで考えると、あまり効果的とはいいがたいですね。特にテレビカメラが接写する機会があるならまだしも、②の場合だとごく近くの限られた人にしか事実が伝わりません。

一方①は周囲のお客さんから丸見えになります。体重はかけられませんが、伝わり度でいえばぐっと違ってきますね。また技に対して耐える相手の表情、なおも攻撃を仕掛ける側の表情もわかりやすくなります。プロレスで言うとたとえばスリーパーホードを決められた相手が、耐えに耐えて背中から攻撃側をターンバックルにたたきつけるという攻守逆転の場面も見ることができます。また投げ技が得意な選手だとスリーパーホールドの体勢からバックドロップへつなぐ展開もあり得ますね。バックドロップの名手だったルーテーズとスリーパーホールドの名手だったバーンガニアの一戦などには常にどっちに転ぶかわからない緊張感まで醸し出していましたからね。寝ていてはこうはいかないでしょうね。

勝ちさえすればいいという街のケンカからすると不可解かもしれませんが、自分たちの闘いを「伝える」となるとグッと難易度があがります。たまに自分たちの闘いを自身が俯瞰で理解して説明できる天才が現れることがありますが、多くの場合、第三者の視点を必要としている事のほうが多いと思われます。

ですから、見ている側としては、選手の伝えたいけど伝わらないもどかしさや、それでも伝えたい気持ちなどの機微をつぶさに観察していき、深掘りしていくと、より深いメッセージにたどり着くことがあります。それが正解かどうかはこの際関係ありません。正解を求めて深堀りするわけではないからです。そうしていくと「これは何かの形で書き留めておきたい」衝動にかられることがあります。あるいは「これを誰かに伝えたい」「誰かと共有したい」欲求が生まれるかもしれません。

それがプロレス観戦記や映画鑑賞記を書く原動力になるのです。衝動を生み出すのはリングの上の闘いですが、それを受け止めて自分のものにし、更に伝えていくことは、見る側にのみ許された贅沢なのです。